先週とMEHMETさんと会ったあと、自分もなんとか頑張らないといけないという気があった。だから、一所懸命仕事を探して、でももともと友達が紹介してくれたテレビのPRODUCER ASSITANTの仕事も人がいるから、いけなかった。じゃ、どうしるほうがいいかなあということを悩んでる時、偶然昔のクラスメート(あまり、頑張ってない子が)また交換留学試験を合格したということを知ってて、ほんとに気持ちが落ちこんていた。頭まだ混乱してて、もともと自分の予想と違うことをあって、緊張しちゃったかも。望みさんは私とMSNでチャットして、私のことを知ったと、すぐ日本から、電話してくれて、いろいろ建議をもらった。望みさんとちゃんと話した後、このままでだめということを分かった。次の日から、ネット(INTERNET)の人力バンクで自己PRの資料を送って、仕事探し始めた。でも、一年間の仕事しかできなかったから、会社に嘘つくのがいやで、仕事を探すことは難しくなった。本職の仕事はだめなら、パイとしかできない。実は私はパートの給料が安いということは気になって、または自分は兵隊に入って出るのはもう25さいですで、同級生より一年か、二年間遅いから、この一年かん先になんとか、やりはじめたいからだ。でもしょうがないから、バイトしかできないなら、ビデオのレンタル屋や、コーヒーSHOPの仕事しかやりたくないから、台湾のBLACKBUSTER(VIDEO RENT STORE)とSTARBUCKSなどのバイトに聴きに行った。土曜日に家近くの中正空港のSTARBUCKSに面接しにいった。向こうの店長も私と気にあって、合格した。来週から、そっちでバイトする。中正空港のTERMINAL2であるSTARBUCKSは実は時給は外の支店より高い。または、PARKING SPACE付き、会社が1か月1200元の駐車所の料金を払ってくれるから。その上、今TERMINAL2の四階にあったSTARBUCKS以外、また、空港の中、DUTY FREE店などがある所、また新しいSTARBUCKSを開店するから、私が訓練を通したから、中の店で働く。なぜなら、日本人の観光客が多いから^^&……. 以上はこれから、一年の動向だ。また、なんとか、試験受けるかも。また報告する。って、土曜日の二時間の面接を終わったあと、すぐバスを乗って、台中に行った。久しぶりのIVYさんと会って、懐かしいの大学の近くの美食を食べて、家でいろいろ話しながら、映画をみました。IVYさんも東海大学の近くのSTARBUCKSのPARTNERで、私の親友+姉さんみたい友達です。いろいろ話して、嬉しかった。やっぱ学生の生活がいいよね。いろいろ可能性がある感じ。日曜日は古川先生と、クラスメート四人一緒に台中の隣南投の霧社へ出発。実は私の卒業作品として、提出したドキュメンタリー式の短い記録映画、「霧社無遮」。完成以来、時間の関係で、東海大学で公開発表会だけで、放映した。今回は霧社で放映できたのは、春陽教会の牧師さんと古川先生のお蔭で、いろいろやってもらった。今回の東海大学の参加者は古川先生、黄ショウ、ブンさん、林シン、イさん、私四人。春陽村のほうは、牧師さん、RUBIさん、許素梅さん、または教会の友人さまたちです。2005.09.11の朝、古川先生の車で霧社に出発。天気予報は台風ですごく大変だったけれど、すごく熱い晴れの日だった。着いたのもう午後二時ごろで、教会の皆もう家に帰ってしまった。でも放映したところで、いろな人が来たい、帰ったり、見てくれました。今回の放映会は人数が少なかったけれども、すごく緊張だった。なぜなら、自分が撮った映像を編集して、映画中の主人公たちの公開することはどきどきだったのだ。でも、皆がよかったと言ってくれて、誠でありがとうございました。もともと、自分がナレーションをつけた時は、もしかして、自分のナレーションのせいで観客が映像の人物の言ったことを見違ったらどうしょうという心配があった。それは、一番心配したことだ。だから、今回の霧社での放映会は、人数は問題ではなくて、ほんとに見せたかった人は牧師さんや、RUBIさんや、青少年たちに見せたかっただよ。牧師さんに見た後感想を聞きました。牧師さんは:「簡単で春陽のことを映したけれど、まだまだ村の中身を取れなかったです。でもよかった。」または「テーマは『霧社無遮』というテーマだけど、映画の中は実際は春陽村のことだから、ちょっと離れたという感じをしまし。」確かに、テーマの問題は感じた。もともと予告編を作った時霧社という地域の全体でなんとか映したいから、その名前を作った。でも、その後何回も撮影の主体を変わって、春陽村の母語教育や、教会の子供たちの生活に変わったから、そんな感じになちゃった。牧師さんは将来も自分の手でターヤル族の母語や、伝統生活のことをきろくしたいといいまし。ちょうと、再来年は教会の60周年で、来年から、いろいろな写真や、映画などの歴史物を集まって、展示会を開けたいとも企画しています。これから、東海の子と春陽の子たちとの協力で、春陽や、霧社の記録映画や、文書を期待しています。皆頑張ってね。
2005年9月14日 星期三
計画は永遠に変化に間に合わず(中国語:計画永遠?不上変化)
先週とMEHMETさんと会ったあと、自分もなんとか頑張らないといけないという気があった。だから、一所懸命仕事を探して、でももともと友達が紹介してくれたテレビのPRODUCER ASSITANTの仕事も人がいるから、いけなかった。じゃ、どうしるほうがいいかなあということを悩んでる時、偶然昔のクラスメート(あまり、頑張ってない子が)また交換留学試験を合格したということを知ってて、ほんとに気持ちが落ちこんていた。頭まだ混乱してて、もともと自分の予想と違うことをあって、緊張しちゃったかも。望みさんは私とMSNでチャットして、私のことを知ったと、すぐ日本から、電話してくれて、いろいろ建議をもらった。望みさんとちゃんと話した後、このままでだめということを分かった。次の日から、ネット(INTERNET)の人力バンクで自己PRの資料を送って、仕事探し始めた。でも、一年間の仕事しかできなかったから、会社に嘘つくのがいやで、仕事を探すことは難しくなった。本職の仕事はだめなら、パイとしかできない。実は私はパートの給料が安いということは気になって、または自分は兵隊に入って出るのはもう25さいですで、同級生より一年か、二年間遅いから、この一年かん先になんとか、やりはじめたいからだ。でもしょうがないから、バイトしかできないなら、ビデオのレンタル屋や、コーヒーSHOPの仕事しかやりたくないから、台湾のBLACKBUSTER(VIDEO RENT STORE)とSTARBUCKSなどのバイトに聴きに行った。土曜日に家近くの中正空港のSTARBUCKSに面接しにいった。向こうの店長も私と気にあって、合格した。来週から、そっちでバイトする。中正空港のTERMINAL2であるSTARBUCKSは実は時給は外の支店より高い。または、PARKING SPACE付き、会社が1か月1200元の駐車所の料金を払ってくれるから。その上、今TERMINAL2の四階にあったSTARBUCKS以外、また、空港の中、DUTY FREE店などがある所、また新しいSTARBUCKSを開店するから、私が訓練を通したから、中の店で働く。なぜなら、日本人の観光客が多いから^^&……. 以上はこれから、一年の動向だ。また、なんとか、試験受けるかも。また報告する。って、土曜日の二時間の面接を終わったあと、すぐバスを乗って、台中に行った。久しぶりのIVYさんと会って、懐かしいの大学の近くの美食を食べて、家でいろいろ話しながら、映画をみました。IVYさんも東海大学の近くのSTARBUCKSのPARTNERで、私の親友+姉さんみたい友達です。いろいろ話して、嬉しかった。やっぱ学生の生活がいいよね。いろいろ可能性がある感じ。日曜日は古川先生と、クラスメート四人一緒に台中の隣南投の霧社へ出発。実は私の卒業作品として、提出したドキュメンタリー式の短い記録映画、「霧社無遮」。完成以来、時間の関係で、東海大学で公開発表会だけで、放映した。今回は霧社で放映できたのは、春陽教会の牧師さんと古川先生のお蔭で、いろいろやってもらった。今回の東海大学の参加者は古川先生、黄ショウ、ブンさん、林シン、イさん、私四人。春陽村のほうは、牧師さん、RUBIさん、許素梅さん、または教会の友人さまたちです。2005.09.11の朝、古川先生の車で霧社に出発。天気予報は台風ですごく大変だったけれど、すごく熱い晴れの日だった。着いたのもう午後二時ごろで、教会の皆もう家に帰ってしまった。でも放映したところで、いろな人が来たい、帰ったり、見てくれました。今回の放映会は人数が少なかったけれども、すごく緊張だった。なぜなら、自分が撮った映像を編集して、映画中の主人公たちの公開することはどきどきだったのだ。でも、皆がよかったと言ってくれて、誠でありがとうございました。もともと、自分がナレーションをつけた時は、もしかして、自分のナレーションのせいで観客が映像の人物の言ったことを見違ったらどうしょうという心配があった。それは、一番心配したことだ。だから、今回の霧社での放映会は、人数は問題ではなくて、ほんとに見せたかった人は牧師さんや、RUBIさんや、青少年たちに見せたかっただよ。牧師さんに見た後感想を聞きました。牧師さんは:「簡単で春陽のことを映したけれど、まだまだ村の中身を取れなかったです。でもよかった。」または「テーマは『霧社無遮』というテーマだけど、映画の中は実際は春陽村のことだから、ちょっと離れたという感じをしまし。」確かに、テーマの問題は感じた。もともと予告編を作った時霧社という地域の全体でなんとか映したいから、その名前を作った。でも、その後何回も撮影の主体を変わって、春陽村の母語教育や、教会の子供たちの生活に変わったから、そんな感じになちゃった。牧師さんは将来も自分の手でターヤル族の母語や、伝統生活のことをきろくしたいといいまし。ちょうと、再来年は教会の60周年で、来年から、いろいろな写真や、映画などの歴史物を集まって、展示会を開けたいとも企画しています。これから、東海の子と春陽の子たちとの協力で、春陽や、霧社の記録映画や、文書を期待しています。皆頑張ってね。
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